ウォーレン・バフェット氏といえば、世界有数の長期投資家として知られています。バークシャー・ハサウェイという持株会社を率い、何十年にもわたって株主価値を高めてきた彼の投資手腕はまさに伝説的です。しかし、すべての投資が成功だったわけではありません。バフェット氏自身が振り返るように、大きな勝利の裏には苦い失敗も存在し、そこからこそ本物の教訓が生まれるのです。
この記事では、彼の代表的な投資成功例と失敗例をもとに、投資における深い学びを紹介いたします。
コカ・コーラ:永遠に持ち続けたい優良株
1988年、バフェット氏はコカ・コーラの株式に大規模な投資を行いました。当時の年次報告書で彼は「我々が好む保有期間は永遠です」と述べ、その言葉どおり現在も保有を続けています。
2024年末時点でコカ・コーラ株の評価額はおよそ250億ドル、同年の配当金収入だけで7億7千万ドルに達しました。まさに配当成長株の理想形です。彼のライフスタイルでもチェリーコークを1日5缶飲むほどの“広告塔”であり、投資と製品愛が一体となった成功事例といえるでしょう。
BYD:先見性が光った中国投資
2008年、バフェット氏はパートナーのチャーリー・マンガー氏の提案により、中国の電池・EVメーカー「BYD」に2億3千万ドルを投資しました。その後EV需要の拡大により株価は急上昇し、たった2年で20億ドル相当の評価額に到達します。
2022年以降は段階的に売却を進めましたが、この投資は「先見性」「技術の変化への適応」の象徴であり、バフェット氏の柔軟な投資スタイルの転換点でもありました。
ミッドアメリカン・エナジー:再投資戦略の成功
1999年にユーティリティ会社ミッドアメリカンを買収したのは、バフェット氏の長年の友人ウォルター・スコット氏の助言によるものでした。この企業は後に「バークシャー・ハサウェイ・エナジー」と名前を変え、利益を配当に回すのではなく再投資によって事業を拡大し続けてきました。
この事業はバークシャーの4大中核事業の一つに成長し、2023年には営業利益が約40億ドルにまで達しています。グレッグ・アベル氏を後継経営者に選ぶきっかけとなった取引でもあります。
サロモン・ブラザーズ:規律の大切さを学んだ一件
1987年、バフェット氏は投資銀行サロモン・ブラザーズに出資しましたが、1991年に同社が国債不正入札のスキャンダルに巻き込まれます。このとき彼は会長として事態収拾に奔走しました。
結局、サロモンは政府との和解で一命を取り留めましたが、最終的にはトラベラーズ・グループに売却されます。バフェット氏はこの経験を通じて、「悪いニュースをすぐに認識しないと、事態は取り返しがつかなくなる」との教訓を得たと語っています。
USAir(現アメリカン航空):航空業界の難しさ
1989年にバフェット氏はUSAirの優先株に約3億5,800万ドルを投資しましたが、1990年代前半には業績悪化により評価損が発生。投資の75%が目減りすることとなりました。
航空業界は構造的な難しさがあるにもかかわらず、そのリスクを十分に評価できなかったことが失敗の要因とされています。彼は「航空業界に投資すれば億万長者から百万長者になれる」というブラックジョークを紹介し、投資家に対する警鐘としました。
バークシャー・ハサウェイ(繊維事業):感情に流された買収
皮肉なことに、バフェット氏が「人生最悪の投資」と認めているのが、自身の会社バークシャー・ハサウェイの買収です。もともとは繊維会社だったバークシャーを、経営者との確執から感情的に買収した結果、大きな損失を抱えることになりました。
後年の年次報告書で「その決断は本当に愚かだった」と振り返るほど、この件は感情で動いたことが裏目に出た例として有名です。ただし、この買収がなければバークシャーが今日の姿になることもなかったと考えると、運命の皮肉ともいえるでしょう。
まとめ:成功も失敗もすべてが教訓
ウォーレン・バフェット氏の投資人生は、成功と失敗の両方から学ぶことの重要性を教えてくれます。失敗を隠さず、率直に認め、その中から教訓を得て次に活かす姿勢は、投資に限らず人生にも通じる大きな価値です。
私たちが彼のように成功を目指すには、表面的な「銘柄選び」よりも、「哲学と原則」を深く学ぶことが重要だといえるでしょう。